イエスキリストは諸説がおますがBC8年~BC2年頃の12月25日に誕生し、AD36年ごろなくなりよったとされる、人類の歴史上もっとも文化的な影響を後世までつよ与えた人物や。イエスキリストは、それまで当たり前のように考えられとった民族観に強い批判を加え、その後、グローバルな展開を見せるキリスト教の礎(いしずえ)を築きましたのや。
イエスキリストの生涯
イエスキリストの生涯については新約聖書に詳しいのやけど、ここではいくつかの段階に分け、イエスキリストの生涯・歴史について大まかに紹介したい思うで。また、聖書の中には同姓同名の別人が多数存在するさかいに、そないな風な場合は混乱を避けるため、一般的に知られとる呼び名をカッコづけで表記したい思うで。
■イエスキリストの誕生
イエスキリストの母・マリアは結婚前に幼子を身ごもり(しょじょ懐胎)、彼をイエスと命名しましたわ。彼の婚約者ヨセフもまた、天使の啓示によりマリアを妻としましたわ。余計なお世話やけど12月25日はイエスキリストの誕生日であるとこれまで信じられてきましたのやが、現在では様々な側面から研究が進み、正確な日付については見解が分かれとるようや。
■イエスキリストの幼年時代
イエスキリストはその幼い日々をガリラヤ(現在のパレスチナ)のナザレで過ごしまっせ。エライ利発で賢い少年やったことが新約聖書<ルカによる福音書>に書かれとりまんねん。
■イエスキリストの洗礼
そののちヨルダン川のほとりで“洗礼”(悔いを改めたゆう証)をおこなっとったヨハネ(洗礼者ヨハネ)から、洗礼を受けたんや。
■荒野の誘惑
その後イエスキリストは精霊によって荒野に放り出され、40日間に渡り断食をおけぇへんたんや。そのさい悪魔による誘惑をうけたんやが、彼はこれを跳ね除けたんや。この聖書の記述が元で、現代でも毛唐のセリフ圏の国では“40”ちう数字は「危機を表す数字」として比喩表現されることがあるんやうや。
■イエスキリストとその聖徒たち
荒野の誘惑に打ち克ったイエスキリストはガリラヤの地で布教活動を開始しまっせ。彼の教えに感銘を受けたもんの中には弟子となる者もおったんやけど、その弟子たちの中から、特に12人の聖徒<一二使徒>を選び、行動を共にするようになったんですわ。
■イエスキリストの受難
イエスキリストはオノレが「神の子」であり「メシア(救世主)」であるとしたため、当時のユダヤ教の祭司たちの怒りを大いにこーてしもて、ゴルゴタの丘(現在のエルサレム近郊)で裁きが施されてしもたんや。
■イエスキリストの復活
裁きが施されたイエスキリストは十字架での磔(はりつけ)後、お墓にほうむられはったが、3日後に復活しその姿を弟子たちに見せたとされとりまんねん。このイエスキリストの復活はキリスト教やったらびにキリスト教徒にとちう、エライ重要な意味を持つとされとりまんねん。
イエスキリストの起こしたキセキ
イエスキリストはその生涯で<十字架刑からの復活>に見られはるような数々のキセキを起こしてるんや。それらのキセキは現代を生きるわてたちにとっては荒唐無稽な話に聞こえるかもしれしまへんが、キリスト教徒にとってはエライ重大な意味を持っとるようや。<復活>のほかにはどないなキセキを起こしたんか、幾つか紹介したい思うで。
■食料を増やす
大勢の信徒に囲まれたイエスキリストは、彼らのためにごく少量のパンと魚を与えたんやが、信徒たちが食べ終えたときには大量のパンくずが残っとったんや。
■石をパンに変える
イエスキリストは貧困に窮した人間に対し、たやら石ころをパンに変え、これを与えたとされとりまんねん。
■病人を治す
当時の社会では不治の病である“らい病”を患った患者の元へ自ら出向き、これを治療したとされとりまんねん。
イエスキリストとその聖徒たち
イエスキリストにはようけの弟子たちがおったんやけど、そのなかでも最も彼の信頼の厚い12人の聖徒<十二使徒>はエライ有名や。かれら十二使徒とはどないな弟子たちやってんな、聖書の中で特に記述されることの多い何人かについてここで紹介したい思うで。
■シモン・ペトロ
ガリラヤ出身の彼は最初、直情的な性格やったが、イエスキリストの復活ちうキセキを目撃しその人間性をより慈しみ深いもんへと変えていきましたのや。
■アンデレ
ペトロとは兄弟である彼は、洗礼者ヨハネがかつて彼に告げた「救世主登場」がイエスキリストのことやと確信し、彼と同じ道を歩むことを決心しましたわ。
■ヤコブ(ゼベダイの子ヤコブ)
十二使徒の中でもとくにイエスキリストのそばにおることが多かった彼は、十二使徒最初のじゅん教者となったんですわ。
■ヨハネ(ゼベダイの子ヨハネ)
ヤコブとは兄弟である彼は、イエスキリストのじゅん教後、彼の志を引き継ぎ、キリスト教伝道の中心的な活躍をしましたわ。
■マタイ
当時最も嫌悪されとった<徴税人>(税金を取り立てんねん仕事に就く人)の職におましたが、イエスキリストの誘いを即座に受け入れ使徒になりよったと伝えられとりまんねん。
■ユダ
イエスキリストを裏切ったことでエライ有名な彼やけど、そやけどアンタ、裏切り行為に自ら耐えることができんと、自ら命をたつゆう悲劇的な最期を遂げたんや。
やまととイエスキリスト
イエスキリストちう人物とやまとちう国が直接関わりを持ったゆうことは歴史上おまへんが、1549年のフランシスコ・ザビエルの来日以降、その活動は敬虔(けいけん)な信者によって脈々と受け継がれ、現在では相当数の信者の方やキリスト教会・教団が存在してるんや。そないなキリスト教信者の方の存在がやまとの歴史に大きな足跡を残してんは皆はんも知ってはるとおりやけど、そやけどアンタ、主イエスキリストの教えを忠実に守ろうとするその姿は、まるで、かつて「神の子・イエス」自身がたどった受難と復活の生涯を思わせ、わてたちやまと人を感嘆させることも少なくはあらへんんとちゃうでっしゃろか。